2016年11月26日土曜日

あこがれの、あたり前。

こんにちは、お元気ですか? 今年は短い秋でしたね。 庭の紅葉(もみじ)の葉っぱが何枚か落ちたと同時に、我が家の庭は雪景色になってしまいました。

昨日の朝に撮った写真です。 僕の家には、広めの庭があって、ウグイスや日本の国鳥(キジ)、いろんな野鳥が遊びに来てくれます。

そんな中で毎週、2日間だけ過ごさせてもらっていますが、こんな生活が出来ているのも、周りの人たちの「優しさ」のおかげだと思います。

今日は、僕がもっとも嫌いだった言葉についてお話します。 この日記でも、よく言っていますが、感動は回数を重ねると、いつの間にか「あたりまえ 」になります。

そう言えば、あたりまえ体操って3年前くらいに流行りませんでしたか? もっと経ってましたか? 日本でブームが去った後、インドネシアで大流行したらしいです。

インドネシアではマイケルジャクソン的な存在だったのかな? でも2人組の彼ら(COWCOW)は、5~6回現地に行って、VIPなおもてなしをされたそうですが、ギャラは支払って頂けなかったそうです。 話を修正しますね。

いつもいつも感謝の気持ちを持ち続けるためには、あたりまえって感覚を捨てなければいけないなぁ~って思っています。 読書をするようになって、更にその意識が強くなりました。

昨日のテレビで、2万人に一人の割合で、筋肉が無くなっていく病(やまい)を発症すると言う、その難病を抱えた男性の生き方について、やっていました。

彼は、呼吸する筋肉すらないので、機械で呼吸しています。 手足の指が少し動かせます。 お母さんは24時間つきっきり、家族の協力がなければ、生きていけません。 その彼が、お母さんに「感謝の気持ち」を伝えました。

「お母さん、僕をあたり前にしてくれてありがとう」って・・・。 彼の目からは、普通に僕らがしている食事、旅行、勉強することがあたりまえってことに見えるんでしょう。

だから一般の人たちについて、普通に生活出来ていることを、あたり前だと考えている方が多いって、彼は感じているのかも知れません。

僕が嫌いだった言葉のあたりまえが、難病の彼には「あこがれの、あたり前」だったんですね。 これからは、言葉もいろんな視点で考えなければいけないなぁ~って思いました。

ホント、昨夜なんとなく観ていたテレビから、「はっ」と気付かされて良かったです。 次は、僕のあたり前について...ちょこっと話します。

僕はきっと、世の中の人よりは愛きょうを振りまいてる方ではありませんが、食べることには凄く恵まれています。(DNAに感謝)  だから、

このに関しては、出来あがった料理にだけじゃなく、食材にも感謝を持つように心掛けています。 前にも言ったけど、食材を口に入れる瞬間まで、一つひとつ、心を込めて食べます。

あるお客さまが、いろいろ作って持って来てくれます。 だんだん作る量が増えてきてしまい、その料理を何とか食べきっていましたが、それでも無理な時は、近所のアパートの方にあすそ分けしていたんです。

ある日、ゴミ置き場に僕があげた料理が捨ててありました。 そのことがショックで、これからは一人で食べきることにしました。

前世があったとしたら、僕はきっと、今の逆で、食べることに苦労して死んでいった一人なのかも知れません。 まっ、それは置いといて、

そのお客様には、いつも少なめにしてとお願いしていたんですが、だんだん増えてきてしまい、どうしたら解ってもらえるかなぁ~って考えていました。

残ったら、捨ててって言われても、そんなことは絶対に出来ません。 皆さんは食材について考えたことはありますか? 野采を我が子のように大切に育てている農家の方もいらっしゃいます。

先日は何年も合っていない昔の知り合いにも連絡を取ったりして、何とか食べきるように必死でした。 でも、ちょっとしか食べてくれませんでした。

僕は東京人じゃないので、知り合いなんていません。 北国に帰るまでに料理が冷蔵庫に残ってしまうと、気持ちはブルーです。

贅沢な悩みですよね。 飢餓に苦しんでいる人たちのことを考えると、凄く苦しくなる。 今日は、「ほっ」とする日記にならなくてゴメンネ。

たまには、こんなイッキ(僕)にもなりますが、いつも皆さんが笑顔でいられるように願っています。 今日も楽しい一日にしてください。

僕の家の庭(写真)が見られたから良かったでしょ? じゃ~ね。(*^_^*)